2019年6月29日(土)、ニッポンサーフレジェンドによるトークショー「OAL SURFER’s」が、鎌倉市七里ガ浜のサーフショップ「NOBRAND(Blue Horizon)」で開催されました。OALはOLD AND LOCO、“ローカルサーファーたちの想ひ出”という意味が込められています。
2020年の東京オリンピックから正式種目になったサーフィンですが、日本ではいったいどんなふうにして始まったのか? レジェンド5人が当時を振り返りながらエピソードを語りました。
トークショーのテーマは、ずばり「僕らのサーフィンはここから始まった」。
出川三千男さんがナビゲーターを務め、川井"Mickey"幹雄さん、ドジ井坂さん、マーボー(小室正則)さん、長沼一仁さんと共に語る60年代の日本のサーフィンヒストリー。当時を知る湘南や千葉の仲間の皆さんも加わって、ドリンク片手に熱い一夜が幕を開けました。
今回の企画は、ベルギー人ジャーナリストによるドキュメンタリー制作がきっかけ。彼は、東京オリンピックが初めて開催された1964年から2度目となる2020年に向け、「日本の時の流れ、表情の変化」を追いかけていて、60年代のサーフィンの写真を見せて欲しいとレジェンドにリクエストがあり、ならばこの機会にみんなで写真を見て楽しもう!となったそうです。
トークショーの発起人であり、進行役の出川さん。会場いっぱいのお客さんの熱気に包まれ、「OAL SURFER’s」がスタートしました。もともとレジェンドたちが湘南や千葉で遊びの延長でやっていたサーフィンが、本格的なスポーツに発展。当時のエピソードが語られました。
右は川井"Mickey"幹雄さん。
出川さんが湘南でサーフィンを始めた頃に「千葉の鴨川にすごくうまいヤツがいる!」という評判が聞こえてきて、それがMickeyさんだったそう。サーフィンだけでなく、半世紀前から一緒にスケボーでも遊んでいたそうです。
ちなみにMickeyさんは、ロングボードをスーパーカブにくくりつけて(!)、フェリーで千葉から湘南に来ていたということです。
お2人は半世紀以上にわたるお付き合いで、出川さんは、Mickeyさんのことを「今も僕にとってのヒーロー。神様みたいな人です」とおっしゃっていました。全日本サーフィン選手権大会の写真も披露されました。
続いて、右がドジ井坂さん。
出川さんいわく「ドジは、とにかく最初にムーブメントを生み出す人。テレビや雑誌、イベントなど国内外で日本のサーフィンを広め、ブームにした」とのことです。サーファーであり、メディアをはじめ多彩に活躍されているドジさんですが、近々新しい著書「ダイナミックバランスの魔法」も出版されるようです。
右がマーボー(小室正則)さん。
「やっぱりサーファーはオシャレじゃなくちゃ」とおっしゃるマーボーさん。70年代のサーファーファッションを一世風靡した「ライトニングボルト(ジェリー・ロペスらの稲妻マークブランド)」を当時初めて日本へ輸入したマーチャンダイザーとして有名ですね。
当時、若者の憧れだったSONYのウォークマンもいち早く使っていたそう。でも、「そのウォークマンで聞いていたのが八代亜紀さんだった」という出川さんの証言に、「やっぱり日本人は演歌だよ」と笑っていました。マーボーさんは、このイベント翌日もサーフィンの大会「第52回 マーボロイヤルKJカップ2019」に出場されました。
スライド上映された写真に写っている特徴的な建物は、パシフィックパーク茅ケ崎。いまは取り壊されてありませんが、当時の茅ケ崎のランドマーク的存在で、サザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」はこのホテルを歌ったもの。レジェンドの皆さんもよく食事に行ったそうです。茅ケ崎らしいサーフィン&パシフィックパークの貴重な1枚です。
左が長沼一仁さん、右がTED’Sの創設者・レジェンドのテッド阿出川さん。
長沼さんからは、サーフブランド「キティサーフボード」を設立した時のお話がありました。かつて日本を襲った大型台風キティがブランド名の由来で、チョウチョのマークは台風と同じく大海原を渡ってくることから採用したということです。そして、鎌倉の坂ノ下にお住まいだった長沼さん、ロングボードを担いでナント自転車で平塚市の馬入川河口まで通っていたというエピソードも!
左から出川さん、MOSSの創設者・レジェンドの田沼進三さん、長沼さん、テッドさん。長沼さんは、自宅がある鎌倉の坂ノ下から七里ガ浜の往復は基本的にヒッチハイクで、ヒッチハイクできなかった場合はパドリングをしていたそう。七里ガ浜でサーフィンをした後は、穴を掘って重いボードを砂に埋めて保管したり、そして、通うたびに掘り起こして乗っていたとか。当時の面白話が次々と飛び出し、皆さん大笑い。最終的に「ビンボーってオモシロイ♪」という結論に至っていました…。
レジェンド5人は全員が全日本チャンピオンに輝いたサーファーであり、サーフボードを作るシェーパーの草分けでもあります。日本にはまだなかったシェーピング技術を、さまざまなルートから独自開発したエピソードも語られました。
お客さんは立ち見の方もいて、会場にぎっしり。上の写真の仕切りの向こう側や前の方にも大勢…。約1時間半、皆さん楽しんでいました。
最後に紹介されたのは、1971年の新島大会の一コマ。海開きの時などによく神主さんが祝詞(のりと)をあげますが、当時はその神事をサーフィンの大会前にも行っていたそうです。
出川さんいわく「昨今のマーケティング一辺倒のスポーツや、いまどきのサーフィンと違い、僕らはスピリチュアルだった。海よ、ありがとう!の精神がベースにあって、夏が来た!じゃあ海に行ける!って感じだった」と。トークショーのシメの言葉は「今年の夏も遊びましょう!!」
湘南・七里ヶ浜で大いに盛り上がった一夜でした。
この日上映されたスライドは60年代の厳選された30枚でしたが、まだまだ貴重な写真がたくさんあり、動画もあるそうです。オリンピック競技に認定され、世界中でますます注目されているサーフィン。サーフレジェンドたちは、どのスポーツ競技にもみられない形態、すなわち競技者であり、自ら競技ツールであるサーフボードのシェイプを行うクラフツマン。そして、様々なカルチャーを生み出し、影響を与えてきました。そんなニッポンサーフレジェンドたちによる熱くて面白くて超レアな講演&トークセッションをぜひ聞いてみませんか?